帰りを待つ人の心を思うと
胸が潰れます
朝日に手を合わせ祈ることは
ひとつ
名もなき花一輪に願うことは
ひとつ

座るべき人がいない食卓に
こみ上げる寂しさを
想像できますか?
もう座ってくれない座布団に
ぶつける悔しさを
分かってもらえますか?

このてかがみを
あなたのフィアンセに
あなたの帰りを
疑わない人に

このてかがみを

きっと明日も 
愛する人の姿を
かがみは映す

明日を信じることが
できる




これは《てかがみ》第一幕の終わりに、武田カヨが歌う美しく壮大なアリアです。
彼女は第二次世界大戦の終戦間際、新潟港に落とされた機雷の爆発で夫を亡くします。
その後にカヨは息子の勇一と長岡へ疎開するのですが(カヨは疎開先の空襲で亡くなってしまいます)、その際亡き夫の親友・杉本に、あの時自分を介抱してくれたアメリカ人捕虜で軍医のリチャード・マクベインへの言伝と、夫から贈られ大切にしてきた自分のてかがみを託して歌います。


先の東日本大震災がその大きな爪痕を残したこの気仙沼では今この瞬間も、癒えることのない悲しみを秘めて、一所懸命に生きている方が大勢いらっしゃるでしょう。

このカヨのアリアを思うとき、大切なものを理不尽に失った方々の心が重なってしまって、胸が苦しくなります。
自分が同じ立場で愛する人を失ったら、と想像するだけで、涙が溢れそうになります。


このアリアでカヨは、やり切れない憤り・悲しみ・寂しさを前半部分で訥々と語っています。
一転して後半では、会ったことのない、これからも会うことはないであろう、アメリカでリチャードの無事を祈りその帰りを待つ彼のフィアンセが、自分と同じ苦しみを味わうことのないよう、彼がきっと必ず愛する人と希望の明日を迎えられるよう、そういう時代がやってくるよう、強く切なく祈っています

明日を純粋に信じることが容易ではなかった時代に、自身の悲しみから目を背けず、しかしだからこそ誰かの幸せを心から願う。敵も味方も関係なく、真心を込めて強く寄り添う。人間としてこれ以上の優しさがあるでしょうか。



《てかがみ》が持つこのメッセージを伝えること。
それだけが微力な私が今できること。

未来を担う小・中学生の心に寄り添い、懸命に生きる全ての方々にとり少しでもエールを送ることができれば、と考えています。

一人じゃないよ、会ったことはなくてもあなたの笑顔を心から願う人間がここにいるよ、と伝えたいです。



今日も誠実に歌ってまいります。
ではまた。